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2020 mobilis in mobili  (An'Archives)

フランス在住の友達ミッシェルを通じて、An'archivesからリリースしないかの話が来た。

浦邊さんの希望は、リリースするなら出来るだけ最近、ここ2~3年のライブ録音のみでいきたい、と。

CD-Rに焼いたものを送って聞き返してもらい、まず数枚をセレクト。そこからの編集は、機材の都合もあり京都で何回にも分けて進めていく。LP3枚分でA面からF面まであるのでかなりの時間がかかった。

タイトルだけは、だいぶ早くから彼の中で決まっていた。

"Mobilis in Mobili"  直訳すると”動中の動” ジューヌ・ヴェルヌの小説「海底2万里」からとったんだ、

と古本屋で同じ小説のおすすめ版を探してきてくれてもらったけれど私はそのまま部屋に置きっぱなしで長いこと読まないままでいた。ネモ船長の話とか、もう何度も繰り返し聞かされてたから。

 

A~F 面までを仕上げてフランスに送ったのは2019年の春頃だったか。

受け取ったAn'archivesのセドリック氏からすぐに返事がきた。「この音源を最初に自分が聴くことができて本当に嬉しい」

タイトルを ”Mobilis in Mobili" としたこと、セドリックにとってのジューヌ・ヴェルヌへの深い思い入れが、彼の子供時代の思い出とともに書かれてあった。

Art workについては任せてほしい、と。もうその時セドリックにはポストカードにする写真のイメージ等々いろいろとアイデアが浮かんでいたのだろう。数ヶ月してセドリックから送られた何枚もの画像は、PC画面に吸い込まれてしまいそう、まだ読んではいない海底2万里から届けられたように感じた。

しばらく連絡の途絶えてる間にコロナウイルス の影響が広がりフランスはロックダウン、日本にも緊急事態宣言が出され時間がポッカリできて、初めて海底2万里の本を手にとった。

Mobilis in Mobili これは動中の動 というより静中の静なのではないか、そんな印象を持った。

 

編集された6枚の音源コピーは手許にあっていつでも聞ける、んだけどずっと聞かなかった。

彼は「今度のは相当エグくなったよ」と嬉しそうに言う。エグいって言葉が彼にとってはとても大切な要素らしい、今までも時々口にする言葉だった。アクがあるっていうこと?と聞くと、どこかに悪意を込めるんだ、と言う。

悪意ってどんな、と聞くと「あんたたちの思い通りになんか絶対ならない」ということなんだ、と。

 

11月、An'archivesのHPに、近日中にリリースの告知が出た。今年中には無理かも...と思ってたLPを手に取ることができた。

3枚組LPの折り返し地点、2枚目のC~D面で、突如世界は裏返った。これは、CD”かむぱねるら”のラスト6曲目のその後の世界じゃないか...と思った。かむぱねるらのラスト、浦邊さんはいなくなり、音だけが宙を漂いさまよう。

その後の世界がやってこようとしている、そう思えた。 ならば3枚目のE面は、、、どこへ行く?

そこには、光束夜+浦邊雅祥のCDで彼が金子さんとひばりさんと出した音、があった。

大好きな仲間と一緒だった時、の音を浦邊さん一人で出していた。そして海は広いな大きいな、と続く。

反転したと思えた世界は、逆戻りしたようにも感じられてでも、なんのてらいもない、なんて純粋に美しい音色。

彼の真骨頂はここにあるのかもしれない。

 

動中の動であるためには、たった一人でいないといけないんだ、と言う。宝物のように大切にしているのは、堀江謙一の「太平洋ひとりぼっち」....

サックスの音はE面でおわり、ラストF面は沖縄の歌で締めくくられた。3枚のLPを聴き終えたけど、D面が自分の中でずっと繰り返し流れている。

悪意を込めるんだ、、と言ったのを再び思い返す。言葉通りに受け止めるわけにはいかない、といって詮索しようにもできないが。「神秘の島」は、ジュール・ヴェルヌの海底2万里の続編にあたるような小説だとか。

ネモ船長がその後どうなったのかも書かれているそうで、すぐには読みたくないけど、いつかは、と思ってる。(text : ishida yuri)

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2016   solo@キッドアイラックホール

かつて彼が毎月ライブをやってきた、明大前キッドの5階空間でのソロ。

「もう一度だけ闇の中でやるんだ。受付の机にだけ灯りを照らして他の照明はつけない、そして、暗闇でやるのはこれが最後だ」と彼は言った。

タイで手に入れた三線で沖縄の旋律、時々沖縄の言葉が飛び出す。サックスのマウスピースだけを口にした辺りから、雷の音が響き始める。吹き込む息が白熱していくにつれて雷は大きくなり、やがて激しい雨音が聞こえてくる。

にやり、と笑ってテラスへと通じるガラス戸を大きく開け放った。雨ではなくて、大粒の雹だった。テラスへ出て、ずぶ濡れになりながらの演奏が始まった。テラスの床はあっという間に氷の粒が敷き詰められて冬景色に変り、

アルトサックスの音と雷の音がとどろき、大粒の雹は会場の床にも音をたてながら幾つも滑り込んできて、暗闇の中で唯一輝いている。この世のものとも思えない、あまりに異様で美しい光景だった。

 

どれくらいテラスで吹いていたのだろう、震える足どりで会場に戻り、再び三線を手にする。「ぁい、カチャーシー!」のかけ声を自らにかけて。 最後「十九の春」をたっぷりと時間をとって歌い終える。

90分を越すだろう壮絶なライブだった。

そして、立ち去りがたいお客さん達との会話が一旦終わる頃、雷も遠のき外は小雨になっていた。

なんかもう出来過ぎで... 浦邊さんが引きつれてきたのか、空からの祝福だろうか。

まさしく、お天気に恵まれた奇跡的なライブでした。

轟く雷に拮抗する音と身体。恐るべし浦邊雅祥...!  (text:ishida yuri)

2015  SOLO @ Empty Gallery(香港)

お客さんは若い人が多く30人くらいだったか。舞台後方での歯ぎしりから始まって、いつもの鉄パイプとチェーンのパーカッション。椅子は置かず、みなギャラリーの思い思いの場所に座り込んでのライブで、インディアンの写真を後方に、まるで古い儀式の輪の中にいるようなそんな印象だった。場所のせいかサックスの音の響きが特別によく、でも彼の演奏はいつもならここからさらにとんでもない音にまで飛んでいく、そのギリギリの淵で引き返しギターへと移る。ギターといっても、ハーモニカを押しあてて弾くギター。いつも以上に抑制の効いた、怖くも美しい音だった。

最後、ノイズが充満していく中を立ち尽くし、フツッと音を途切らして終わった。(ishida yuri)

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2015 solo@浦添groove(沖縄)

国道に響くスネアの音に始まり、中央分離帯にて叫ぶ声。

最後は何もかもを身にまといバキバキに音を出してそしてハーモニカの微かな息で終了。音は不気味でありながらも、濁ってなくて美しい... お客さんが予想以上に沢山来てくれて、若い方が多かったのも嬉しいことだった。

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2012  CD"かむぱねるら”(utech records)

彼の演奏はとにかく実際にライブに行かないと、あの全身から放たれるオーラ、楽器と身体とのエロティックな関わりも感じとれない。でも、CDで聴いてもやはり息づかいがそこに立ち現れてくる。その息づかいにのって、様々な情景を幻視する。

ラストの“かむぱねるら・6”で、息づかいの向こうにいる彼の姿は消えてしまう。消えた、というよりその風景の中に霧のように溶けていったといえばいいか。彼はもういない、ただ荒涼とひろがる風景に、さまようしらべ だけが漂っている。

時空を超えて、突き抜けて、走り続けたその果てに辿り着いた場所。優しく、どこかひんやりと冷たく、哀しい。

そこに感情はない、でも情感にあふれた唄がある。涙がでそうなほどに美しい光景だ。

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2011  浦邊雅祥+加藤啓 デュオパフォーマンス

30年以上の付き合いとなる二人。加藤さんは長年ずっと浦邊さんのライヴに通い続けてきている。

そして彼は、加藤啓さんは僕のやりたいことの先の先の先をやっているよ、とよく言っている。

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